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中山道の宿場風情 馬籠、妻籠へ

中山道は江戸日本橋を起点として、京都まで132里の道程で馬籠宿は69宿の内、板橋宿を1番目とすると、43番目になります。江戸からの距離は83里(333km)余りです。
明治28年の大火災で江戸時代の建物はほとんどが焼失しましたが、町人達の努力で、当時を彷させる街並みが復元されました。

中部山岳地帯を縦断し、木曽を通っていたことから「木曽路」とも「木曽街道」とも呼ばれていました。
東海道126里53宿に比べ、遠回りではあるが、大井川の渡し、一宮〜桑名の船旅での海難を回避するため、大名の姫たちは比較的安全な中山道を利用したと言われ、別名「姫街道」とも呼ばれていました。

文豪・島崎藤村の生まれ故郷であり「木曽はすべて山の中である」の一筋で始まる、幕末の馬籠宿を、小説化した【夜明け前】の舞台でもある。
当時にタイムスリップした気分で、小説家島崎藤村の執筆活動した木曽に触れる旅をした。

毎日運行「中山道の宿場町 馬籠、妻籠への日帰りツアー」

下呂温泉・飛騨高山から毎日出発いたします。


最少催行人数4名様。乗合乗車あり。
※4名以下でのご利用はご相談ください。

前日のPM 5:00までにお申込みいただければ間に合います。
ご利用人数にあわせ、バスまたはタクシーにてご案内いたします。

【コース内容】
・全行程6時間のコースです。
・昼食はツアー料金に含まれません。各自でお取りください。
・妻籠から馬籠まではタクシー・バスでの移動となります。
・帰りを中津川駅到着にへの変更可能です。※同料金となります。
・ご出発、ご到着を飛騨高山へご変更される場合は、ツアー時間が延びるためツアー料金が変わりますのでご了承ください。また、料金はお問い合わせください。

馬籠、妻籠レポート

下呂温泉から出発すること30分途中、加子母の【明治座】を見学。
明治27年、村の有志達により建てられた芝居小屋で 廻り舞台、スッポン、両花道を備えた故中村勘三郎、中村勘九郎も舞台を踏まれ 演目「義経千本桜」を演じられたそうです。

馬籠に差し掛かる途中で、石畳の街道を歩いてみた。
先日降ったゆきが残っており、足元も滑りやすく大変でした。

いよいよ裏木曽海道から、馬籠宿に到着。街道が山の屋根にそった急斜面を通っており、石畳の坂のある宿場が馬籠の特徴。
タクシーを展望台付近で下車し、宿場を下に向かって歩こう。
展望台では、彼方に中央アルプス最南端恵那山(標高2,191)を望みながら、馬籠全体の景色を楽しもう。

宿泊先の下呂温泉から

【馬籠宿】
高山、白川は何度も行ったので、今回は木曽路へ行ってきた。ホテルのガイドブックから、ノスタルジックな木曽路に行こう急遽決めたがフロントに相談したら、タクシーで余裕往復できる距離と聞いて驚いた。
下呂から国道257号線「裏木曽街道」を南下し、途中で加子母の【明治座】を見学。明治27年、村の有志達によって建てられた芝居小屋で、廻り舞台、スッポン、両花道を備えた劇場形式の農村舞台でした。

明治座を見学した後、1時間程で馬籠駐車場に到着。
馬籠宿は石畳の坂にある宿場町なので、タクシーを展望台近くで降ろしてもらい、宿場の全体を見降ろし、目の前に広がる恵那山「標高2,192m」を望む。
そこからは下に向かって歩き、タクシーは宿場の下にある駐車場で待機することになっていた。
足に負担のかからないプチ親切であった。

中山道は江戸日本橋を起点とし京都まで132里(530辧砲瞭残で馬籠宿は中山道六十九宿のうち板橋を1番目とすると43番目となる。
江戸からの距離は83里(333km)余りとなる。
木曽路最南端の宿場町であったが、明治28年の大火災で江戸時代の建物は焼失したが、町の人たちの努力で当時を彷彿させる街並みが復元されました。

中部山岳地帯を縦断し、街道は木曽を通っていたことから別名「木曽路」とも「木曽街道」とも呼ばれていた。

江戸‐京都を結ぶ海側の東海道126里53宿に比べ、遠回りではあるが大井川の渡し、一宮‐桑名の船旅での海難を回避するため、大名の姫たちは比較的安全な中山道を利用したと言われる。それにより別名【姫街道】とも言われていました。

街道が山の尾根にそった急斜面を通っており、その両側に石垣を築いては屋敷を造っていることから 坂のある宿場が馬籠の特徴である。
文豪・島崎藤村の生まれ故郷であり「木曽路はすべて山の中である」の一節で始まる、島崎藤村の幕末の馬籠を小説化【夜明け前】の舞台でもある。

馬籠、妻籠写真集

【水車小屋】
馬籠峠に向かう途中にある水車小屋。
公園になっており、旧中山道をハイキングする方たちの休息場になっている。

【清水屋資料館】
小説「嵐」の登場人物「森さん」こと、原一平さんのお宅
代々馬籠の宿場役人を勤めた清水屋は、本陣島崎家と親交があり 藤村の小説執筆にあたっての、覚書や書簡が展示してある。
江戸時代に栄えていた遺産として、書画、陶磁器、漆器が数多く展示ある。

【造り酒屋「大黒屋」】
島崎藤村の初恋の人(おゆふさま)の生家。
昔は造り酒屋であったが、現在は民芸品、喫茶の店。

【馬籠脇本陣資料館「八幡屋」】
「馬籠宿脇本陣跡」の説明板と山口誓子の句碑がある。
藤村の【夜明け前】に登場する造り酒屋でもあった八幡屋。
小説資料の「蜂谷源十郎覚書」、その他当時の什器、絵画などを展示している。

【馬籠宿上入口 高札場】
陣場から石畳道を下ると、当時の場所に復元された高札場がある。
庶民に法令を徹底させる手段として設けられていました。
その内容は、1711年〜16年に発布されたものを再現しています。
文面は、御朱印、切支丹、薬品関連、徒党禁止の定書だそうです。

【展望台】
恵那山(中央アルプス最南端の山)日本の百名山、標高2,192m。
展望台からは、本来ならくっきり恵那山が見えるはずでしたが、あいにくの天候でぼんやりしか残念ながら見えませんでした。
残雪があり、緑に包まれた山とは違った趣がありました。

【藤村記念館】
藤村の生家跡に建つ復元した冠木門、藤村記念館、本陣時代から残る隠居所建物などがある。
島崎家は馬籠城主島崎監物の子孫で本陣、問屋を勤めかつては 代官とも呼れていた。

【木曽義仲の妹 菊姫の墓(五輪の塔)】
宿場からは、少し離れていており、田んぼに中にぽつりとある為、探す気で探さないと見落としてします。そんなひっそりした場所に建てられています。
京都で源頼朝に討伐された義仲ではあったが 頼朝の妻北条政子の養女として都で暮らしていたが、菊姫の名をかたり、横領や悪行をはたらいた輩の為、頼朝に詰問され都を追われたが、北条政子の尽力で出身地に近いこの地を与えられ生涯を終えたとされている。

【まごめ定食】
昼食は 山の中に来ているので山菜おこわ、山菜そば、とんかつ、あまごの甘露煮の定食。
これで1,000円は安い。

【妻籠宿】
中山道六十九次、42番目の宿場であり、中山道と伊那街道が交又する交通の要所として古くから賑わいをみせていた。
昭和になり経済成長の中、江戸時代の宿場の姿を色濃く残している街並みが見直され、ここに全国を先駆けて保存運動が起こった。
馬籠の人達は街並みを残すために、家や土地を「売らない、貸さない、壊さない」3原則をつくりここで生活しながら貴重な財産の保存を後世に伝えている。

【寺下の街並み】
馬籠宿とはまったく違う趣があり「わび」「さび」といった感じが宿場全体から感じられた。
観光客も少なく、散策すくにはゆったりとした時間が過ごせた。
全体的には街並みの反対側は石積みで、片側に街並みが存在する造りになっており、馬籠と比較し隣接する家々に若干余裕がありました。

【郵便局】
手前の黒い箱がポスト。
左側の玄関は現在も普通に機能している郵便局です。

【中町から下町】
家の軒先に玉ねぎのようなものが吊るしてありましたが、干柿でした。
飛騨地方では、河を剥いた柿をそのままの状態で寒風に曝しますが妻籠では、丁寧に藁で1つ毎に包んで干してありました。
中味は硬いというより熟した感じでした。

【まゆ玉かざり】
飛騨の「花餅」と同じ意味合いだそうです。

【脇本陣奥谷】
明治天皇小休所の石碑があましたが、交通の利便性を考えると妻籠までどのようなルートで訪問されたのか?中山道を普通に往来されたのでしょうか?


馬籠・妻籠郡上八幡白川郷上高地立山黒部アルペンルート
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